すごい人に出会ったからって、「尊敬」する必要はないと思う
目次
モットーは、無駄に「尊敬」しないこと
先日、飲み会でモットーの話になり、考えてみたのですが、最近のモットーは「無駄に尊敬しないこと」だという答えになりました。
「モットーは!?」って聞かれて、「他人を尊敬し過ぎないこと」って答えたら、腑に落ちてくださったみたいで、盛り上がって楽しかった飲み会でした。笑
— あい@AI TIME (@aitabata22) 2016年10月12日
もちろん会社では敬語を使っていますが、プライベートで仲の良い年上の人の中には、タメ口という人も多いです。
それは私が失礼だからではなく、「タメ口を使って!!」とお願いされるからです(ナチュラルにタメ口に移行する技も持ち合わせていますが)。
年下の私がタメ口をお願いされる理由は、無駄に尊敬されたくないからだと思います。
そして、私も無駄に尊敬したくないので、タメ口を使います。
新人の身分で何を言ってるんだと怒られそうですが、誤解を恐れずに言えば、自分が目指したいと思うような憧れの人こそ、「無駄に尊敬するべきではない」と思うのです。
無駄に他人を「尊敬」してはいけない3つの理由
1. 「尊敬」されると、人は負担に感じる
「尊敬しています」と言われて嬉しくない人は、まずいないでしょう。
自分を肯定し、更に崇拝してくれることを示す最高の褒め言葉ですもんね。
ただその褒め言葉からは、同時にどことなくプレッシャーを感じませんか?
尊敬されると、その人は尊敬されるように振る舞ってしまうと思うんです。
例えば、「休みの日なのにボランティアをしているなんて、尊敬します!」と言われたとします。
でもその人にも、自分のために時間を使って、買い物をしたり、飲み会に行く週末だってあるわけです。
けれど、そのことを「尊敬しています!」と言ってくれた人には、なんだか言いにくいですよね。
まして、「家に籠ってダラダラ映画見てたら、一瞬で休日が終わっちゃってさ!」なんてことは、口が裂けても言えません。尊敬されないこと間違いなしですから。
なにが問題かというと、あるひとつの側面を尊敬している(されている)はずにも関わらず、全面を尊敬している(されている)ように感じてしまうところです。
「週末にボランティアをすることがある」ということは、誰かのために自分の時間を使う良いことでしょう。
それが毎週末でなくても、極端に言えば1年に1回でも喜ぶ人がいるのは事実です。
1年に1回もボランティアをしない人もいるわけですから、尊敬されてもおかしくはありません。
でもそれは、その人の一面であって、すべてではありません。
ある側面から見た「尊敬」という感情を他人に押し付けてしまうことで、その人に負担を与えかねないのです。
2.「尊敬」したままだと、距離が縮まらない
さて、そうして「尊敬」という感情を相手に押し付けてしまうと、その人は「尊敬されないであろう」部分を見せにくくなってしまいます。
尊敬されないであろう部分は、人によって解釈の違いがありますが、その尊敬が過度であればあるほど、見せられない部分が多くなるのは、今までの経験から共感していただけるのではないでしょうか?
なので私は(人に尊敬されるようなことはしていないと自覚していますが)、初対面のイメージが固まらない段階で早々に、「この前こんな失敗しちゃって・・・」と、尊敬からはほど遠い話を必ずと言っていいほどしてしまいます。
相手の期待値を上げないことで、こちらの心理的負担も下がるんです。
もちろん、近づくことを前提としていなかったり、過去の偉人を尊敬することは悪いことではありません。
あまりにも距離が遠い人や過去の偉人に、自分の理想を押し付けることは現実的に不可能なので、相手に負担を与えないからです。
けれど、もしあなたが尊敬できるような人と直接話せるような恵まれた環境にいるのなら、あえて「尊敬」という感情は表に出し過ぎないことをおすすめします。
尊敬し過ぎてしまうと、ファンと芸能人のように、一見関係は良好だけれど、見えない大きな壁があって、結局憧れの人の「素」に触れることができず、本当の意味では一向に近づくことができないからです。
3. 無駄に「尊敬」すると、自己嫌悪に陥る
顔も素敵で、性格も完璧、仕事もできて、ユーモアもあるなんて、人にはなかなか出会えません。
更に言えば、例として挙げたこれらの条件も、ある人にとっては別に長所でないと感じたりと、とにかく人の理想は複雑で、自分の理想をすべてを満たす人なんてまずいません。
なので、誰かを尊敬していると思う時も、きっけけは「なにか一つの尊敬できるポイント」であったはず。
それがいつのまにか「その人」という大きな主語にすり替わってしまうことがよくあります。
そして、その状態になると、◯◯さんは仕事もできて、気遣いもできて、なんでも卒なくできるのに、自分は仕事もできない上に、気も配れないやつだと自己嫌悪に陥ってしまいます。
でも、元々は尊敬している人の「断片」を見ていいところだと思っているわけで、また角度を変えれば、必ず尊敬している人が持っていない自分ならではのいいところがあるはずです。
だから、勝手に尊敬して、勝手に落ち込む必要は全くありません。
「◯◯さんのこういうところが素敵だな」と思うくらいに留めておく方がお互いのためにいいはずです。
そもそも「尊敬」という言葉が抱える意味はあまりにも壮大過ぎます。
Googleで「尊敬」を調べると、”他人の人格や行為を高いものと認め、頭を下げるような、また、ついて行きたいような気持ちになること”と出てきます。
本来完璧でない人間という生き物を形容できるような言葉ではないと思うのです。
無駄な尊敬をせずに、ストレスフリーな人間関係を!
もちろん仕事でもプライベートでも、すごい!!と圧倒されることは少なくありません。
それでもなお、あえて尊敬し過ぎないようにしています。
「すごいところは、どの部分か」ということをしっかりと考えるのです。
どんなにすごい人でも、人間らしい不完全で、チャーミングな一面はあるはず。
そのことを頭の片隅に置いておくだけでも、人との距離感が近くなると思いませんか?
すごい人に会うというのは、ある意味自分に負荷をかける行為です。
「なんで、自分は同じようになれないんだろう?」と考えてしまうからです。
そのことにストレスを感じると、今度は自分よりすごい人に会うのが億劫になってしまいます。
そして、成長から遠ざかってしまうのです。
けれど、大体すごい人というのは、チャレンジする人なので、失敗談もたくさん持っています。
そして、尊敬さえし過ぎなければ、その失敗談を明るく、面白く話してくれるおおらかな人ばかりです。
こんな風に考えるようになってから、どんな人に会っても、ストレスがなくなり、距離感も近くなったように思います。
そして、相手の素晴らしいところを認めた上で、敬うことよりも、自分の悔しいと思う気持ちに目を向けてみませんか?
その先に成長が待っているはずです。
というわけで、過度な尊敬はもうやめにして、心地よい人間関係を築きましょう!
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私は年上の人に対してタメ口を使うことがあると書いたけれど、宮森さんは年下にも敬語。違った観点から書かれているけれど、この意見も面白い。
私にタメ口を使わせてくれる、すごい人(社長)。
常識にとらわれない自由な考え方が本当に素敵。
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